古民家スケッチ・埼玉県吉見町、茅葺きの養蚕農家

古民家スケッチ・埼玉県吉見町・茅葺きの養蚕農家

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埼玉県吉見町は、知る人ぞ知る、吉見百穴(よしみひゃっけつ)で有名な町。
埼玉県比企郡吉見町にある、古墳時代後期、6〜7世紀ごろの築造の横穴墓群の遺跡で、219基が残っている。
大正12年(1923)に国の史跡に指定されている。

この辺りには、旧渋沢邸や、特に江戸時代の国学者塙保己一の生家など、入母屋造り茅葺きで、北武蔵地方の典型的な養蚕農家があります。

posted by アーイジジ at 05:07Comment(0)建造物

国内建造物スケッチ・青森三内丸山遺跡と旧平山家住宅

国内建造物スケッチ・青森三内丸山遺跡と旧平山家住宅

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 (三内丸山遺跡)
青森市にあり、特別史跡指定が2000年11月、紀元前3000年前後、集落には竪穴住居、掘立柱建物、膨大な量の土器や石器、2000点を超える土偶など出土。

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(旧平山家住宅)
青森県五所川原市、昭和53年(1978)重要文化財に指定、五所川原市の代表的な文化財。
平山家は肝入役を務め、代官所の手代、奉行、郷士なども務めた。建築年代は、平山日記によって、1766年の地震で被害を受け、1769年主屋を再建された。主屋は桁行17間で約33m、梁間6間で約10.5m、寄棟造(玄関部切妻造)茅葺住宅、馬小屋7室あり。
厳しい津軽地方の風雪に耐えて250年、上層農家の規模や形式をそのまま伝えている。
8年ほど前にたまたま見学することができました。別宅もあり、見事な欄間が印象的で、雪見窓に工夫を凝らしてありました。
posted by アーイジジ at 09:30Comment(0)建造物

かやぶきの里スケッチ・日本の原風景・京都府南丹市「美山」

かやぶきの里スケッチ・日本の原風景・京都府南丹市「美山」

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(かやぶきの里には民宿が)

農山村の原風景が広がる「美山かやぶきの里」

北集落には、50戸のうち39棟がかやぶき屋根で、伝統的技法による建築物群を含め、平成5年に「国の重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。また、ユネスコ無形文化遺産に登録された「茅葺き職人の技」による景観や、地域の暮らしや思いをツアーの中で味わえるようです。(かやぶきの里プライベートガイドツアー)(かやぶきさんぽ)
集落内には、かやぶきの里お食事処・カフェや「美山民族資料館」「ちいさな藍美術館」「カフェギャラリー」、2軒の民宿「民宿またべ」「民宿久や」があり、またJR京都駅から日帰りバスツアーなどもあるようです。


国宝スケッチ・静岡市久能山東照宮の本殿・石の間・拝殿

国宝スケッチ・静岡市久能山東照宮の本殿・石の間・拝殿

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徳川家康を祀る霊廟として1617年に創建された。江戸初期の代表的建造物として国宝に指定されている。
本殿と拝殿を床の低い「石の間」でつないだ、いわゆる「権現造」の形式の複合社殿。
徳川家康を「東照大権現」として祀る久能山東照宮の創建により権現造と呼ばれるようになった。
その後全国に数多く創建された東照宮の原型となった。




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古民家再生スケッチ・茅葺き屋根のビフォーアフター

古民家再生スケッチ・茅葺き屋根のビフォーアフター

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茅葺き屋根の耐用年数は15年前後だそうです。最初の5〜10年は丈夫で問題がないが、それ以上たつと数年に一度は、傷んだ部分に茅を差し込んで塞ぐ「差し茅」という補修が必要になるそうです。差し替えは、まずは最も傷みやすい北側、そして南側と棟、東と西などと工事を分けて行うそうです。
したがって、茅葺き民家を維持するためには、何百万から一千万単位の費用がかかるそうで、新築の方が経済的なのかも知れません。
posted by アーイジジ at 09:52Comment(0)建造物

世界遺産スケッチ・合掌造りの飛騨・白川郷

世界遺産スケッチ・合掌造りの飛騨・白川郷

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日本の原風景、飛騨・白川郷の合掌造り、ユネスコ世界遺産

1976年に重要伝統的建造物群保存地区に選定され、さらに1995年には五箇山(富山県)と共に、白川郷・五箇山の合掌造り集落として、ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録された。
集落では、「売らない、貸さない、壊さない」の三原則を定め、民家の外観を壊す改装は行わないようにしたそうです。また、建物や景観だけでなく、地域に根付く住民同士の相互扶助の営みが高い評価を受けたといわれる。
そこには「結(ゆい)」の心を大切にしている。それは個々の家の助け合いと協力があって、そこには厳しい自然条件があったものによるものでしょう。




posted by アーイジジ at 10:04Comment(0)建造物

旧街道沿いスケッチ・伊那市高遠町藤澤・御堂垣外・本陣門

旧街道沿いスケッチ・伊那市高遠町藤澤・御堂垣外・本陣門

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【御堂垣外宿(みどがいとじゅく)】
参勤交代の途中、大名が宿泊した本陣跡

江戸幕府は、江戸へ往来する交通路として甲州街道・東海道・中山道・日光道中・奥州道中の五街道を整え、街道沿いに宿場を設けた。
「御堂垣外(みどがいと)」は伊那部(いなべ)〜高遠より金沢から甲州街道を結ぶ金沢街道と、杖突(つえつき)峠を越え上諏訪へ至る杖突街道の合流点に当たる交通の要衝であった。
大名は、飯田藩2万7千石の堀侯、旗本は知久(ちく)、近藤、小笠原、座光寺氏等がこの街道を往来した。
本陣は大名・旗本・幕府役人の領内巡りや江戸への参勤交代時の宿所で、御堂垣外に正式に本陣が置かれた享保10年(1725)から明治維新まで藤沢八左衞門の藤沢家が世襲で永代本陣役を務めた。
高遠藩3万3千石の内藤侯の参勤交代では、高遠城を出発した日に御堂垣外で一泊し、江戸まで通常六泊七日で江戸に参府した。

江戸時代に高遠藩領に設けられた宿場町。
杖突峠を超える、杖突街道(国道152号)沿いに、当時を偲ばせる古い土蔵や重厚な屋敷が建ち並ぶ。
街道筋で唯一の本陣が置かれ、その時代の門が今も残されている。

私は、その伊那市高遠町藤澤(藤沢)地区に、2000年5月に築100年以上の、土蔵の付いた古い民家(ほとんど小屋)を手に入れ、以来信州を味わっています。でも管理手間を考える年齢となりました。

古い街道スケッチ・伊那市高遠町藤澤・御堂垣外の本陣が見える町並み

古い街道スケッチ・伊那市高遠町藤澤・御堂垣外の本陣が見える町並み

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伊那市高遠町藤澤は、茅野から杖突峠を越えて、「高遠桜」で有名な高遠城下に至る街道沿いにあります。

ここに築100年以上の土蔵のある古い家に通い続けて20年以上になります。標高が高いため、夏は降るような星空、しかし冬は氷点下20度近くなるような極寒の地ですが、高遠町内の白璧とナマコ壁の町並みが魅力で、古い小屋を買って毎月でかけたものです。

途中の街道は、昔の参勤交代のあった藤澤という地域は「御堂垣外(みどうがいと)」という街並みで昔の交通の要衝でした。この街道で唯一本陣が置かれていて、脇本陣はなかったものの、その代わりに問屋が務めていて、街道一の宿場町であったということです。

土蔵や旅籠建築が並び重厚な屋敷の多いのが、御堂垣外の特徴です。僻地集落の様相がありますが、4月の高遠桜の季節は東京方面からの大型バスが列をなし、バイパスも整備されて年に一度賑わいます。

でも、この22年間癒しの場として通った秘境のような古民家でしたが、年を重ね終活のために市の空き家バンクにお願いし、手放すことになりました。いかんせん古い明治の建物だったため3年以上の歳月を経て買い手がつきました。地元の不動産屋さんに感謝致します。

街道のスケッチ・甲州市勝沼・古い土蔵のある町並み

街道のスケッチ・甲州市勝沼・古い土蔵のある町並み

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江戸時代の五街道のうちの一つ旧甲州街道で、江戸から諏訪まで39宿ができた中で勝沼宿は、芭蕉の句「勝沼や馬子もぶどうを食いながら」とあり、ぶどうの里として繁栄したところ。
勝沼宿は、江戸日本橋から31里、宿場の長さは16町26間(1745m)という大きな宿場。笹子峠を越えた甲州盆地の東の入口。幕末には、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠も23軒あって大いに栄えた街で、現在は勝沼ワインで有名。


廃屋スケッチ・過疎化による限界集落・廃屋が

廃屋スケッチ・過疎化による限界集落・廃屋が
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いたって映えない光景のスケッチかも?

いわゆる限界集落となって、人がいなくなった地域の民家です。

かつては家族が住んでいたのでしょう、それなりに大きな住宅です。

しかし、今では瓦屋根は崩れ、今にも倒壊しそうです。

それでも、固定資産税は当然かかっているのでしょう。

周りに民家はなく、ポツンと一軒家かもしれません。

でも、経費のことを考えれば放置しておくしかないのでしょうか。

気にはかかるでしょうね?

私も信州に築100年以上の古い家があり、管理に手間と費用がかかり、結構大変です。
posted by アーイジジ at 05:12Comment(0)建造物