国内建造物スケッチ・青森三内丸山遺跡と旧平山家住宅
国内建造物スケッチ・青森三内丸山遺跡と旧平山家住宅
(旧平山家住宅)
青森県五所川原市、昭和53年(1978)重要文化財に指定、五所川原市の代表的な文化財。
平山家は肝入役を務め、代官所の手代、奉行、郷士なども務めた。建築年代は、平山日記によって、1766年の地震で被害を受け、1769年主屋を再建された。主屋は桁行17間で約33m、梁間6間で約10.5m、寄棟造(玄関部切妻造)茅葺住宅、馬小屋7室あり。
厳しい津軽地方の風雪に耐えて250年、上層農家の規模や形式をそのまま伝えている。
8年ほど前にたまたま見学することができました。別宅もあり、見事な欄間が印象的で、雪見窓に工夫を凝らしてありました。
かやぶきの里スケッチ・日本の原風景・京都府南丹市「美山」
かやぶきの里スケッチ・日本の原風景・京都府南丹市「美山」
(かやぶきの里には民宿が)
農山村の原風景が広がる「美山かやぶきの里」
北集落には、50戸のうち39棟がかやぶき屋根で、伝統的技法による建築物群を含め、平成5年に「国の重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。また、ユネスコ無形文化遺産に登録された「茅葺き職人の技」による景観や、地域の暮らしや思いをツアーの中で味わえるようです。(かやぶきの里プライベートガイドツアー)(かやぶきさんぽ)
集落内には、かやぶきの里お食事処・カフェや「美山民族資料館」「ちいさな藍美術館」「カフェギャラリー」、2軒の民宿「民宿またべ」「民宿久や」があり、またJR京都駅から日帰りバスツアーなどもあるようです。
国宝スケッチ・静岡市久能山東照宮の本殿・石の間・拝殿
古民家再生スケッチ・茅葺き屋根のビフォーアフター
世界遺産スケッチ・合掌造りの飛騨・白川郷
世界遺産スケッチ・合掌造りの飛騨・白川郷
旧街道沿いスケッチ・伊那市高遠町藤澤・御堂垣外・本陣門
旧街道沿いスケッチ・伊那市高遠町藤澤・御堂垣外・本陣門
【御堂垣外宿(みどがいとじゅく)】
参勤交代の途中、大名が宿泊した本陣跡
江戸幕府は、江戸へ往来する交通路として甲州街道・東海道・中山道・日光道中・奥州道中の五街道を整え、街道沿いに宿場を設けた。
「御堂垣外(みどがいと)」は伊那部(いなべ)〜高遠より金沢から甲州街道を結ぶ金沢街道と、杖突(つえつき)峠を越え上諏訪へ至る杖突街道の合流点に当たる交通の要衝であった。
大名は、飯田藩2万7千石の堀侯、旗本は知久(ちく)、近藤、小笠原、座光寺氏等がこの街道を往来した。
本陣は大名・旗本・幕府役人の領内巡りや江戸への参勤交代時の宿所で、御堂垣外に正式に本陣が置かれた享保10年(1725)から明治維新まで藤沢八左衞門の藤沢家が世襲で永代本陣役を務めた。
高遠藩3万3千石の内藤侯の参勤交代では、高遠城を出発した日に御堂垣外で一泊し、江戸まで通常六泊七日で江戸に参府した。
江戸時代に高遠藩領に設けられた宿場町。
杖突峠を超える、杖突街道(国道152号)沿いに、当時を偲ばせる古い土蔵や重厚な屋敷が建ち並ぶ。
街道筋で唯一の本陣が置かれ、その時代の門が今も残されている。
私は、その伊那市高遠町藤澤(藤沢)地区に、2000年5月に築100年以上の、土蔵の付いた古い民家(ほとんど小屋)を手に入れ、以来信州を味わっています。でも管理手間を考える年齢となりました。
古い街道スケッチ・伊那市高遠町藤澤・御堂垣外の本陣が見える町並み
古い街道スケッチ・伊那市高遠町藤澤・御堂垣外の本陣が見える町並み
伊那市高遠町藤澤は、茅野から杖突峠を越えて、「高遠桜」で有名な高遠城下に至る街道沿いにあります。
ここに築100年以上の土蔵のある古い家に通い続けて20年以上になります。標高が高いため、夏は降るような星空、しかし冬は氷点下20度近くなるような極寒の地ですが、高遠町内の白璧とナマコ壁の町並みが魅力で、古い小屋を買って毎月でかけたものです。
途中の街道は、昔の参勤交代のあった藤澤という地域は「御堂垣外(みどうがいと)」という街並みで昔の交通の要衝でした。この街道で唯一本陣が置かれていて、脇本陣はなかったものの、その代わりに問屋が務めていて、街道一の宿場町であったということです。
土蔵や旅籠建築が並び重厚な屋敷の多いのが、御堂垣外の特徴です。僻地集落の様相がありますが、4月の高遠桜の季節は東京方面からの大型バスが列をなし、バイパスも整備されて年に一度賑わいます。
でも、この22年間癒しの場として通った秘境のような古民家でしたが、年を重ね終活のために市の空き家バンクにお願いし、手放すことになりました。いかんせん古い明治の建物だったため3年以上の歳月を経て買い手がつきました。地元の不動産屋さんに感謝致します。